コラム

2018.02.05

TIリテラシーのコラム第3弾「Language Volunteers for the Olympics」


「TI(翻訳通訳)リテラシーから探る真の国際競争力」にスポットを当てたコラム企画の第3弾です。
2020年東京オリンピックの語学ボランティアについて、異なる論争がメディアで散見されます。一つは、「語学ボランティアに応募して、みんなでオリンピックを盛り上げよう」というもの。もう一つは、「通訳は高度専門職なのだから、それをボランティアでやるのはおかしい」というものです。この議論を理解するためには、翻訳通訳とは何かという事を改めて考える必要があります。

What’s the Problem?

そもそも、日本では翻訳通訳における理論研究が他の欧米やアジアの国・地域に比べて遅れています。また、大学院における翻訳者通訳者の養成も遅れています。そのため、翻訳者通訳者は単に英語が話せればできるという間違った思い込みが、日本ではまかり通っています。
このような背景により、本来は高度専門職である翻訳通訳の「聖域」に、専門的な能力を持たない人達が入り込むという異様な状況が巻き起こっています。オリンピックでの語学ボランティアは、その状況を助長させるのではないかという懸念から、このような論争が生じています。
2016年に東京新聞に掲載された記事の中で、京都大学の西山教行教授は下記の通り述べています。
「街角での道案内ならさておき、五輪の管理運営業務にかかわる翻訳や通訳をボランティアで賄う事は、組織委員会が高度な外国語能力を全く重視していない事の表れである。」
また、2017年に私が執筆した修士論文の中でも、下記を指摘しています。
「通訳をボランティアでやってしまう事は、『タダでもできるんだ』という印象を与えかねない。ましてや東京オリンピックにおいて、政府関係者が関わる組織委員によってこのような事が行われれば、世間に対する誤解を増長させる事となる。実際国際会議の運営をしていると、クライアントから同時通訳は高いという意見を聞く事はある。しかし、国際会議では優れた会議通訳者により同時通訳を行う事で、同時通訳の質を保っている。プロの会議通訳者の社会的地位を守らなければ、今後優秀な会議通訳者を育てる事も困難となるのではないだろうか。」
ここで誤解してはいけないのが、この問題は「プロであれば良い、ボランティアではダメだ」というような単純なものではないという事です。それでは、さらに問題を分析するために、学会では今何が議論されているのかをご紹介します。

JAITS 2017: Outline

日本通訳翻訳学会第18回年次大会が昨年9月に愛知大学名古屋キャンパスにて開催されました。その際、特別企画 愛知大学言語学談話会共催 公開シンポジウムとして、「オリンピック・パラリンピックにおけるボランティアの参画と役割」というセッションがあり、司会は武田珂代子教授(立教大学)、講師は塚本博氏(JOA会員 /上毛新聞社編集局)と鶴田知佳子教授(東京外国語大学)のもと開催されました。
塚本氏は「スポーツボランティアの意義と課題」というタイトルで講演し、「語学力のある人材はもちろん必要ではあるが、語学力だけではボランティアは出来ないということ、そして語学力の優劣がそのままボランティアの優劣となるわけではないということを、大学側が学生たちに指導するべきである」と述べていました。
鶴田教授は「東京外国語大学リオオリンピック・スタディツアーの運営経験をもとに東京オリンピックの際の言語ボランティア活動を展望する」というタイトルで講演し、オリンピックに17人、パラリンピックに9人がボランティアとして参加した経緯を話しました。実は、この件に関しては賛否両論の報道がありました。賛成派は、「学生たちの良い経験となったのではないか」というようなものです。反対派は、「学生にタダ働きをさせて良いのか」といったようなものです。(※ただし、このスタディツアーは単位を取得できるもので、自費で渡航する等の条件に承諾した学生が応募していました。)

JAITS 2017: Discussion

2名の講演が終わり、質疑応答の際「ボランティア通訳ではなくボランティア語学サービスのような呼称とすべきではないか」という意見が挙がりました。これは、プロの通訳者がボランティアで行う通訳、通訳者ではない人がボランティアで行う通訳まがいのことには、線引きが必要であるということです。
一見、翻訳者通訳者にとっては当たり前の事に思えるでしょう。しかし、大多数の人達が認識していないことを踏まえ、当たり前と思えることでもテキスト化して理解を促すことも、本来の仕事と同じくらい大事なことなのです。
ボランティアに本来の仕事を奪われるのではないかと不安に思う翻訳者通訳者を自社に引き止めることは、エージェンシーにとっては死活問題です。エージェンシーが翻訳者通訳者に自社の理解を示すということは、翻訳者通訳者への最低限の尊厳として必要であり、それが長期的には自社の利益にもつながるのです。

現在のエージェンシーが語学ボランティア問題に関してあまり情報を発信していないため、エージェンシーにTIリテラシーが欠けていると思われる翻訳者通訳者および翻訳通訳理論研究者の方がいらっしゃるというのは心得ています。しかし、実は2001年に著書『裏方は花道つくりて花を見ず』の中で、日本コンベンションサービス株式会社の創立者である故・近浪廣氏が下記のとおり述べています。
「若い人ではいくら語学力があっても、言外の意を悟る人生経験が未熟なため、発言者の意図するところを汲み取って訳すことがきわめてむずかしいのです。」
「発言者の意図を聞き手にわかりやすく伝えることが通訳者の使命であり、そのためには言葉そのものだけでなく、発言者の考え方、人柄までを正確に理解する能力が要求されています。」
Japan Timesによると、東京オリンピックの組織委員会は学生のテスト期間を変更してまでも、語学ボランティアを優先できるように計らっているそうです。しかし、若い人に経験をしてもらうという認識が、いつの間にか「外大生で通訳ができる」という極めて大きな誤解に結びつかないよう、我々エージェンシーはもっと情報を発信していかなければなりません。なぜなら、このカオスを逆手にさらなる問題が巻き起こっているからです。

Another Problem

それは、翻訳通訳のプロ集団ではない人達がこのビジネスの波に乗ろうとしていることです。例えば先日インターネットで見つけたサイトには、「独学で勉強して、通訳訓練を受けずに通訳者になる」と書かれていて、その下にはオンライン英会話講座の広告がありました。このような詐欺まがいのビジネスが横行しないためにも、学会もしくは業界が、もっと社会に向けて情報を発信していかなくてはならないのです。

What’s Translation/Interpreting?

CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)では、言語能力の1つとされているMediation(仲介)能力は、TranslationやInterpreting とされています。 逆に言えば、翻訳通訳とはMediation能力を備えていることと言えます。それは、単にことばを違う言語に置き換えることではなく、本来の意味を伝えることとも言えます。その際、感覚ではなく理論に基づき時には瞬時にMediate(仲介)することが求められるため、翻訳通訳は高度専門職なのです。ただ、理論はあくまでツールの1つであり、実際にことばに息を吹き込むのは、そのことばを用いる人です。研ぎ澄まされたことばのセンスとは、文字通り「研がれた」ことのある人にだけ舞い降りるギフトなのだと思います。そうやって発せられたことばが、時に人を動かす力になるのだと私は信じています。
だからこそ、時に「未熟なプロ」や「成熟したボランティア」が存在し得ることも考慮し、どちらの成果物に対してもバイアスを持たずに向き合うことが必要なのです。一概にプロだから大丈夫、ボランティアだからダメ、このような考え方ではTIリテラシーがあるとは言えません。

Corporate Social Responsibility(CSR)

Japan Timesによると、ロンドン、リオともに15社だったスポンサーが東京では40社なので、翻訳通訳という高度専門職に予算が割けないというのは、理解に苦しみます。しかし、そうやって高度専門職である翻訳通訳を蔑ろに扱うことにより、日本人はより一層言語に対して疎くなっていくと予想されます。
もし優秀な翻訳者通訳者が育たなければ、日本での国際会議の質は保てません。前述の著書で故・近浪廣氏が述べているように、「間髪を入れず同時通訳してこそ、共に笑い、怒り、反論し合い、そのことによって会議の成果が上がってくるのです。文字どおり、通訳の良否が会議の成否を左右すると言っても過言ではないのです」。
安倍政権が2030 年までには日本をアジア No.1 の国際会議開催国にすると宣言している今だからこそ、改めて業界全体が言語に対する意識を高め、TIリテラシーを持った人材を育てる事が急務です。そして、それこそが私達の業界における社会貢献であると信じ、それを実行することが先人達への恩返しであると私は考えます。

Next

次回は、“G11N (Globalization)”について説明します。日本が本当に必要とするのはグローバル化なのか、改めて考えたいと思います。

References

近浪 廣(2001) 『裏方は花道つくりて花を見ず』日本コンベン
ションサービス株式会社
東川静香(2017) 『国際会議運営業界におけるTIリテラシー教育』
修士論文 関西大学
西山教行(2016) 「五輪通訳ボランティア?」 『東京新聞』
Philip Brasor (2018) Debate grows over paying
compensation to Olympic ‘volunteers’ Japan Times

東川 静香

日本コンベンションサービス株式会社
MICE都市研究所 研究員
2008年より、同社にて国際会議運営における海外担当に従事。2017年、関西大学大学院外国語教育学研究科博士課程 前期課程通訳翻訳領域において修士号(外国語教育学)取得。
所属学会:日本通訳翻訳学会 会員

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