コラム
2026.03.31
MICEにおける食の多様性―ヴィーガン対応は「特別な配慮」から「成功のためのスタンダード」へ
国際会議や企業イベント(MICE)の現場で、近年「食」に関するニーズが変化しています。ベジタリアンやヴィーガン、ハラールといった「フードダイバーシティ(食の多様性)」への対応は、これまで一部の参加者に対する「特別な配慮」と捉えられがちでした。しかし今、それはイベントの価値を高め、参加者の満足度や安心感を向上させるための「基本要素(スタンダード)」へと変わりつつあります。
今回は、日本コンベンションサービス(JCS)が運営する紀尾井カンファレンスで、ヴィーガンに関する専門的知見を持つNPO法人ベジプロジェクトジャパンの川野陽子氏を迎え、施設運営の現場を統括する南郁江と対談しました。
プロフィール
川野 陽子 氏(NPO法人ベジプロジェクトジャパン 代表理事)
京都大学在学中、学食へのヴィーガンメニュー導入の取り組みをきっかけに活動をスタート。現在は企業のプラントベース商品開発支援、認証マークの運営、自治体との連携などを通じ、ヴィーガンの選択肢を広め活動を行う。観光庁が作成する「ベジタリアン・ヴィーガン/ムスリム旅行者おもてなしガイド」の監修を行うなど、食の多様性対応における専門家として活動。
南 郁江(日本コンベンションサービス株式会社 まちづくり事業部 MICE推進2部 副部長)
国内主要都市のMICEプロモーションや施設設計計画コンサルティングに従事。現在は紀尾井・日比谷・福岡の各カンファレンス施設の運営統括責任者を務める。「場所」ではなく「時代の文脈」を提供する施設運営をビジョンに掲げ、新しいテーマが社会に実装される起点作りを目指す。
現場のアンテナが捉えた新しい潮流の兆し
―まず単刀直入にお伺いします。現場でヴィーガン対応など「食」に関するリクエストが増えてきたと感じることはありますか?
南(JCS)
「正直に申し上げますと、問い合わせの件数自体は微増であり、爆発的に増えたわけではありません。ただ、私たちが意識してアンテナを張り始めたことで、これまでは「対応が難しい」と流してしまっていたかもしれない小さなシグナルを、しっかりと「ニーズ」として認識できるようになった、というのが実感です。
具体的には、「参加者にこういう属性の方がいるのですが、どこまで対応可能ですか?」という、打診のようなご相談が主ですね。」
川野(ベジプロ)
「そうしたご相談の水面下には、実はもっと多くの「声なき声」があるかもしれません。私自身もヴィーガンですが、イベントに参加する際、主催者の方に「ヴィーガンメニューはありますか?」と聞きづらいこともあります。「サラダだけ食べて我慢しよう」と、最初から諦めてしまっている当事者はとても多いです。
先日招かれたサステナビリティ関連の懇親会でさえ、ヴィーガンメニューが用意されていませんでした。主催者に悪気はなく、単に「必要だという認識がなかった」だけですよね。」
南
「顕在化したニーズはキャッチしやすいですが、「潜在的に思っているけれど言えない」という方が一体どれくらいいるのか。私たちはそこに目を向けていかないといけませんね。
また、MICE業界でも、これまでアレルギーや宗教対応は行ってきましたが、近年はそれらを含めて「サステナビリティ」という視点で食を捉える動きが強まっているとも聞きます。そこには、誰もが安心して同じテーブルを囲める環境づくりと、環境への配慮という二つの側面があるのではないでしょうか。」
川野
「食は毎日のことだからこそ、そこに価値観が表れやすい分野でもあります。環境や社会への配慮が、少しずつ日常の食の選択にも反映され始めていると感じます。」
なぜ今、世界は「ヴィーガン対応」に向かうのか
川野
「欧州の主要都市では、レストランにヴィーガンメニューがあるのは日常的な風景ですし、アジアでも、宗教的な背景から菜食文化が根付いている台湾やインドは、専門店の多さや表示の分かりやすさといった対応の質において非常に進んでいます。
さらに今は「個人の選択」だけでなく、自治体や企業の政策として変えていこうという動きも加速しています。象徴的なのがニューヨーク市の公立病院。入院食の標準(デフォルト)を植物性のメニューに切り替えたところ、多くの患者さんが抵抗なく、自然とそれを受け入れているといいます。」
南
「これまでの「当たり前」を政策レベルで覆した、非常にインパクトのある事例ですね。」
川野
「はい。「健康にいいから我慢して食べる」のではなく、「美味しいことも選ばれる理由」となるのが世界の潮流。ヴィーガン食は、今や誰もが満足できる「ポジティブな選択肢」へと進化しています。」
ーこうした動きは、都市や国際会議の運営にも影響を与え始めています。海外ではフードダイバーシティを積極的に打ち出す都市も見られ、CO₂排出量削減への関心の高まりとともに、食の選択肢もその一部として意識されつつあります。
南
「現場としては、こうした流れが「差別化」や「ブランディング」につながる可能性を感じています。だからこそ、いち早く取り組み、提供できる体制や仕組みを作っていきたい。ただ、実際にはまだ「今すぐやらなければ」という危機感にまでは至っていないのも事実です。だからこそ、こうした発信を通じて、食の多様性は特別なことではなく「当たり前」なんだという空気を、私たちが作っていく側にいなければならないと感じています。」
「完璧じゃなくていい」。明日からできる現実解
―世界の潮流は理解できても、日本のMICE現場ではコストやオペレーションの課題もあるといいます。
川野
「完璧を目指すか何もしないか、という極端な考え方をする必要はありません。例えば、和食の出汁をカツオから昆布や野菜に変える。それだけで、旨味や美味しさは残したままヴィーガンの方も食べられる料理になることもあります。ビュッフェの料理に2~3品、誰でも食べられる選択肢を用意することから始めることも十分意味があります。
また、最近は業務用の冷凍食品でも、高品質なヴィーガン対応品が出ています。袋を開けて温めるだけで提供できるので、実はトータルで見ると、オペレーションコストが下がるケースもあります。」
南
「それなら現場でも取り入れられそうですね。ケータリングパートナーさんと連携し、「実はこんなに簡単に導入できる」「やってみたら意外と好評だった」といった成功体験を現場で積み重ねていきたいですね。そうした自信を持って提案できる選択肢を地道に増やしていくことが、結果として主催者の安心につながると信じています。」
食の多様性は、新しい「価値」になる
―最後に、食の多様性に対応することは、今後のイベント運営においてどのような価値を生むと考えますか?
南
「私は、「美味しい」という満足や「おもてなし」という特別感よりも、その手前にある「安心感」を提供できることこそが、非常に重要と考えています。 自分の価値観が否定されず、自然に受け入れられる。 「ここにいていい」と参加者が感じられる空間をつくること。それこそが、私たちが目指すべきMICEの価値ではないでしょうか。」
川野
「「選択肢が当たり前にある」こと自体が、参加者へのメッセージになります。それは「誰かのわがまま」への対応ではなく、地球環境や多様な価値観を大切にするという企業の姿勢を示すことにもつながります。 難しく考えすぎず、まずはポジティブな一歩を踏み出していただけたらと思います。」
多様な参加者一人ひとりに向き合うことは、主催者にとって決して簡単なことではありません。しかし、食の多様性への配慮は、何か特別なことをするのではなく、「選べる状態を整える」ことから始まります。
今回の対談では、「出汁を変える」「冷凍食品を活用する」といった現実的なアイデアも紹介されました。完璧を目指すのではなく、まずは一歩踏み出すこと。その積み重ねが、誰もが安心して参加できる環境づくりにつながっていきます。
JCSは、主催者の悩みに寄り添い、ともに最適解を探る共創パートナーとして、これからの場づくりを支えていきます。